天国と地獄 二人の死者との遭遇
2023-06-11
直近の3週間で両極端の二人の死者とたまたま遭遇することになりました。それはまさに天国と地獄を分ける死の様相でした。
ほぼ3週間前に亡くなられた一人の方は、しばらく妹家族と生活を共にしていた91歳の女性で、認知症が進んだため半年ほど施設に入所していて老衰のため亡くなられました。その妹家族は私の亡兄の家族で、近くの葬儀施設で家族葬を行うことになりましたが、葬儀をするには導師が居なくてはなりません。ところが亡くなられたお姉さんは千葉にお墓はあるのですがお寺とは無縁でしたので葬儀をして貰えるお坊さんが居ません。そこで私にお鉢が回ってきました。というのは、私は亡き父の信仰を継いで法華経の詩人宮沢賢治が所属していた日蓮系の在家仏教団体の葬儀法要を司る「式士」という資格を持っているからなのです。要するにお坊さんと同じ資格です。この宗教団体の葬儀は普段は3人以上の体制で執り行うのですが、今回は私一人で3役をこなすこととなりました。すなわち通夜・葬儀・荼毘すべての式を私一人でやることになり、そして最後まできっちり遂行することが出来ました。なので義姉家族からいたく感謝されましたが、それにしても亡くなられた義姉のお姉さんのご尊顔を拝すと、天寿を全うされた実に穏やかな顔をされていて親族皆に囲まれ、花に埋め尽くされたお棺の中のその姿は、まさに成仏した姿そのものでした。
一方、昨夜通勤電車で私が遭遇した亡くなられた方はどうも年配の女性らしく、なんと私が乗っていた電車に飛び込み自殺を図ったのです。電車は急停車し、私がいつも下車する駅のひとつ前の駅の、その手前150mほどの信号機付き踏切からさらに5m手前でどうやら飛び込んだらしく、電車にはねられてその踏切の向こう側へ飛ばされ、私が乗った車両のひとつ前の車両の下で遺体として発見されました。踏切付近は騒然として警察車両や救急車のけたたましいサイレンの音が鳴り響き、警察関係者や鉄道関係者が大勢慌ただしく車両の周りを行き交い、そしてやじ馬も集まってきました。車内アナウンスで車内灯を消すので空調の関係で窓を開けるよう指示されたので窓を開け、窓の下をのぞき込むと線路脇に投身自殺者の持ち物と思しき買い物用の手提げ袋が掛かっていました。そう、その時私は彼女が飛び込んだ場所の真上にいたのです。ちょっとしたホラーですね。暫くしてビニールシートに包まれたご遺体が車両の下から運び出され、救急車に乗せられるのを目の当たりにしました。心の中でご冥福を祈りましたが、まさに地獄の相としか言いようもありませんでした。自殺の動機はどうであれ、大勢の人に迷惑を掛けたことは許されることではないと思います。検視に相当時間が掛かりそうなので車両先頭に移動し、運転席のドアから降ろして貰い、そこから徒歩で家路を目指したのでした。
このお二人の死に様を見て、人間死に際と死に方が非常に大事であるとつくづく考えさせられました。出来れば天寿を全うして奇麗な死に方をしたいものですね。
追伸
この人身事故の後、数日経って改めてこの事故のことを振り返り、宗教的に考えてみました。この事故を一重深く掘り下げてみると、私が事故に遭遇したのはたまたまの偶然ではなく、必然的に目に見えない何かしらの縁でもってその場に立たされたとも言えるのではないか、そう考えると思い過ごしかもしれないけれど最近自分が葬儀の導師を務めたことにより、今回亡くなられた方の霊にひょっとしたら引寄せられたのかも知れませんね。自殺に至るには相当の煩悶があったに相違なく、その方の生霊はさ迷い続け救いを求めていたのだと思います。死霊となって地縛霊として浮かばれない境涯に堕ち入って永遠に苦しみ続けることになるやも知れず、救いを求めて自分の死を私に見届けさせたのかもしれません。これは飽くまで宗教的な私なりの勝手な推測ですが。だとしたらその場に遭遇した宗教者として、どんな形であれその新帰寂の精霊に対して、その路線を通る度に出来る限りご冥福を祈らなくてはなりませんね。